盛り髪のルーツは意外に古く、フランスでは18世紀中頃、日本では江戸時代中期あたりから既にその兆候がみられる。




1760年代後半から10年ほどが盛り髪の最盛期といわれる。ベルサイユ宮殿がモードの最先端だった時代、王妃マリー・アントワネットが発信者となり今でいう盛り髪のようなヘアスタイルが貴族の間で流行した。アントワネットの髪結師であったレオナールは王妃が最も信頼を寄せていたデザイナーのローズベルタンとタッグを組み、新しい髪型を次々と考案。装飾はエスカレートし、模型や鉢植えなどを飾った髪型も登場し、なかには6フィート(180センチ)もの高さを誇るものもあった。


当時の風物や世相を織り込んだコーディネートが人気を博し、たとえば戦場や庭園、戦争を勝利に導いた戦艦の模型をのせたりと自由なアイデアの盛り髪が次々生まれた。
貴族たちは髪型を維持するために、馬車の天井に穴を開けたり、座ったまま眠ることもいとわなかったという。
また時代が時代だっただけに、髪の中には多くのシラミやノミが巣を作ったといわれる。



▲マリー・アントワネット
(ソフィア・コッポラ監督・2007)


西洋で自己表現として様々な髪型が生み出されたのに対し、江戸時代の日本では身分ごとに髪型が決められていた。盛り髪は上流社会と遊郭の女性に流行したが、とりわけ遊女の世界では髪型によって遊郭での地位を区別したという。遊女特有の髪型である「横兵庫」は大量のカンザシで装飾され、まさに盛り髪風。江戸の吉原、京都の島原などで流行した。

▲遊女の世界を題材にした映画・
さくらん(蜷川実花監督・



欧化政策のさなかに西欧貴族の盛り髪と江戸花魁の盛り髪という貴賤の文化が結実した。

1885年(明治18)医師の渡辺鼎(かなえ)と経済雑誌記者の石川暎作が大日本婦人束髪会を設立し、従来の日本髪にかわるものとして西洋風の髪型を提唱。 束髪と呼ばれるこの髪型は日本における洋髪の始祖であり、現代まで連なる盛り髪のオリジナルといえる。
束髪は時間をかけず簡単に結え、簡単にほどけることから、手間を省くだけでなく、不衛生の問題も同時に解決した。

また鹿鳴館で踊る上流階級の女性の間で流行したことから、女学生にも人気を博したという。
「西洋下げ髪」「西洋上げ髪」「マーガレイト」「伊太利(イタリー)結び」などの髪型を経て生まれた「夜会(やかい)巻き」は、フォーマルな夜のファッションとして後のクラブやキャバレーにも伝播した。


盛り髪の歴史をひも解いてわかるのは、聖俗の文化、東西の一体化である。
かたや貴族、かたや娼婦という相反する貴賤の要素が「女性らしさ=かわいらしさ」というテーマの元に結実していることが伺える。
また現代においても、姫系といわれる清楚なイメージと小悪魔系といわれる奔放なイメージの混合が雑誌「小悪魔ageha」など盛り髪文化周辺にみられる。


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